1998年12月31日木曜日

1998年(平成十年)

---------- 1998 ----------
我侭に我慢我慢の去年今年
あけまして兎にも角にもおめでとう
淑気満つ五感をしゃんと研ぎ澄ませ
三つめのクシャミで居間に顔を出す
玄関のクシャミにクシャミで答えおり
母の手も足もひび割れ鏡餅
湯船より見上げる冬の大気圏
三寒の喉をいたわり待つ四温
野良猫や風邪七日目の不精髭
去り際の二言三言寒の明け
脳死判定終日やまぬ風の音
少年の一枚の遺書春寒し
ふて寝して寝忘れるとは春の朝
春眠のさもなく覚めてしまいたる
夜目遠目雨にも映えて早桜
出し抜けにくしゃみ合戦花粉時
振興券花よりだんご買いにゆく
面と向かう気恥ずかしさよチューリップ
祖父逝けり彼岸の雨の降りしきる
明治一徹つらぬき逝けり春彼岸
優しさも厳しさもああ春の風
春満々胸板厚き球児なり
振りかぶる少年の眼に風光る
球運のこぼれて春の土が舞う
球運はどちらにつくか春の土
春風やゆく人あればくる人も
店先にながれる唱歌春うらら
初燕ボクは将来おまわりさん
落書きの線路はみ出す春畳
青い眼に戸惑う不覚武者人形
ワルツなどいかがでしょうか朧月
左眼よ何を悲しむ春の暮
寅さんが真顔になって春の暮
柏餅糖の話はさておいて
漉し餡にこだわるという柏餅
一部屋に神も仏も柏餅
夏来るぞ一年四組大介くん
菖蒲湯の父に似てきし腹を撫づ
本堂を吹き抜ける風鯉幟
潮騒や夏の初めのいとこ会
いとこ会初夏の浜辺に寄する波
夏めくや磨く鏡の空の色
そら豆のそらは青空しあわせは
小児科の高き天井走り梅雨
夕焼けを消さんと少年立小便
手に余る五珠ソロバン梅雨に入る
思いのたけ話しつくせり青葉風
息つぎに顔出すイルカ梅雨ごもり
アカペラの静かにひらく梅雨の夜
なつかしき岬をめぐる初夏の風
生命とは不思議なるもの水母かな
夏の夜を刻むリズムの確かなる
声だせばたちまちラテンの夏踊る
風鈴売りが引きつれゆくよ風の色
カステラの紙ごと口に梅雨ごもり
こら坊主誰に似たのか燕の子
ちちははに似てくる不思議燕の子
膝に手を腰に手を当て盆支度
五珠の祖父の算盤盆支度
川風にさらす半身や施餓鬼棚
川風の海へ抜けゆく施餓鬼棚
新盆の古き縁よ阿弥陀仏
新盆の古き縁を温めぬ
ダイエットの折り込みチラシ梅雨暑し
夏空のこれ見よがしの青さなり
暑中見舞とんで目に入る幼文字
よく遊びよく寝る少年夏の月
夏の月うらやむばかり子の寝付
炎天へ瞬間湯沸器となる一歩
いのちいま沸騰したる蝉時雨
油蝉あたり一面沸騰す
立秋や拾い読みするかなの文字
藁草履暑さをしのぐ知恵ありし
よくあたる床屋の冷房のどぼとけ
もてあます真夏の停電小半時
炎天のマウンドつなぐ心意気
一球を悔やむキャプテン晩夏光
勝てたかも知れないゲーム晩夏光
傘の列またも不況で絶つ命
夏負けのへのへのもへじのような顔
汗だくで動ける体と心もて
熱帯夜ぐるりと震源予想域
冬瓜のようやく半分まだ半分
逆転のその裏逆転晩夏光
ナイターの勝負どころのコマーシャル
ナイターのあと一球でサヨウナラ
敗因をあれやこれやと秋暑し
献立をあれやこれやと秋暑し
梨食えば二十世紀は長嶋さん
糸口は必ずあるさ秋の風
ノストラダムスの終末論よりこの残暑
決算も十年目となる秋彼岸
五十年咲き継ぐ花を範とせむ
涼しさを引き出す朝の事務机
伯父の忌や秋の虹たつ西の空
伯父の忌や御船祭の天気雨
ついては消えタネもしかけもないマジック
秋灯し旧き帳簿の伯父の文字
言い訳を探しあぐねて晩夏光
今しばらく秋はもうじきまいります
人質はまだ還されずキリギリス
キリギリス人質いまだ銃の下
熱帯夜立って歩いて走る夢
夕焼けのうしろの正面秋灯し
もらわれて肩身の狭き冬瓜よ
臨界の十キロ四方九月尽
新涼やするりと靴に入る朝
十六夜の流るる雲は羽衣や
車椅子こつをつかみて秋日和
輝ける命と出会い秋一日
一言の詫びも言いようそぞろ寒