2024年8月11日日曜日

青桐を仰ぎ見ていた少年は

青桐を仰ぎ見ていた少年は

夏休みに庭の青桐を登れないかと仰ぎ見ていたのは六十年後の私です。
 あおぎりを あおぎみていた しょうねんは
季語:青桐(あおぎり)
梧桐は、大きな葉だけでなく幹もすがすがしい緑色をしているので夏の季語とされる。幹が青く、葉が桐に似ているのでこの名がある。

2 件のコメント:

  1. 人生を感じさせる句ですね。その少年は人生という大樹に登る気力が溢れていたのだと思います。下五は「少年は」と余韻を残して終わり、「どうなった?」と想像が膨らみます。今作者は「困難に負けず俳句を作り続ける気力が溢れている」と思います。まだこの先の未来は分かりません。それは可能性に溢れていると同義だと思います。

    返信削除
    返信
    1. 八月になると子供の頃の夏休みを思い出します。庭に一本の青桐があり葉が大きくて幹のつややかな緑色に若い生命力を感じていました。幹に手を当てるとヒンヤリとして心地よく、雨が降ると大きな葉にあたってバラバラと大きな音を立てました。成長も早く幹の太さも高さもぐんぐん伸びる様子に勇気づけられました。

      削除