生き方は人それぞれですが私は胃ろうはせずに口から食べてゆきたい。
いろうせず いきてゆきたし ふゆあかね
季語:冬茜(ふゆあかね)
単に「夕焼」といえば夏の季語だが、「冬の夕焼」「春の夕焼」「秋の夕焼」と一年中季語としてある。冬の夕焼は、枯木立や建物のコントラストが美しく、束の間ではあるが印象深い。子季語に「寒夕焼」「寒茜」もあるが、冬の夕焼に比べると、より寒中にある感が強い。
季語:冬茜(ふゆあかね)
単に「夕焼」といえば夏の季語だが、「冬の夕焼」「春の夕焼」「秋の夕焼」と一年中季語としてある。冬の夕焼は、枯木立や建物のコントラストが美しく、束の間ではあるが印象深い。子季語に「寒夕焼」「寒茜」もあるが、冬の夕焼に比べると、より寒中にある感が強い。
今までも、食事を飲み込む機能について、医師から説明を聞いて来ましたが、いよいよ胃ろうの話が具体的になって来たのですね。一昨日の「枯葉一つ命一つの証かな」の句が浮かび、関連性を感じました。一つしかない命を生かすために、どれほど辛い決断をしなければならないのか。(私はこうしたい)という強い気持ちを、ありのままに俳句に吐き出した、重い句だと受け止めました。「冬茜」の季語が、厳しい冬でも美しく燃える空のごとく、命を燃やす作者の気持ちを象徴するかのようです。
返信削除歳を重ねてきて、顔の筋力が衰え、肩の筋力が衰え、腕の筋力が衰え、脚の筋力が衰え、呼吸の筋力が衰え、声もなくしましたが、食べる力は自分に残された力だと思い、これからも残していきたいと思いました。窓の外には茜色の雲が一面浮かんでいます。久しぶりにこんなきれいな夕焼けを見ました。
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