2021年9月20日月曜日

秋日濃し父も私も声失くし

秋日濃し父も私も声失くし

笑うときも怒るときも泣くときも声が出せない寂しさ。
あきびこし ちちもわたしも こえなくし
季語:秋日(あきび)
秋の日の光であり、秋の一日でもある。秋の太陽は残暑をもたらすが、しだいに爽やかになり、晩秋には目に見えて日差しも衰える。秋の一日は、秋分を過ぎるとしだいに日が短くなり、冬が近づくころには、釣瓶落としいわれるように、一気に暮れてしまう。

2 件のコメント:

  1. 声が出せない寂しさを想像しました。辛いだろうなぁ、という以上にはなかなか分かりませんでした。「父も私も」が寂しさを倍増させるとも思いました。しかし「濃し」に力強さを感じました。声を「失くし」たけれども前向きに生きている、そして父も同じというところに支えられている、とも読めました。

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    1. 父もそうであったように世の中には声を失くした多くの人がいる。前向きになろうと思いながら、ふと寂しさを覚えます。

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