五十年前に一度だけ行ったことのある沖縄の摩文仁の丘の海と空。
どこまでもあおい うみとそら おきなわき
季語:沖縄忌(おきなわき)
六月二十三日。太平洋戦争の終わりの頃、沖縄は日米の最後の決戦地になり、多くの民間人が犠牲になった。沖縄の日本軍が壊滅した昭和二十年六月二十三日のこの日を、沖縄県慰霊の日とした。
季語:沖縄忌(おきなわき)
六月二十三日。太平洋戦争の終わりの頃、沖縄は日米の最後の決戦地になり、多くの民間人が犠牲になった。沖縄の日本軍が壊滅した昭和二十年六月二十三日のこの日を、沖縄県慰霊の日とした。
戦争は絶対に起こしてはいけない。この歳になってその思いはますます強くなっています。若い頃は自分の国が歩んで来た歴史に、本当に無知でした。平和な「どこまでもあおいうみとそら」の風景が平仮名で記され、「沖縄忌」の漢字との対比が見事で、胸が痛みました。
返信削除沖縄海洋博が開催された昭和五十年に沖縄に行ったことがありました。観光地を回りながら、米軍基地を目にするごとに戦争があったことを感じました。糸満市の摩文仁の丘は平和の礎ができる前で、海と空の碧さに感動したことを思い出しました。
削除